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アニメ 天穂のサクナヒメ11話『赦しの光』 感想

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天穂のサクナヒメ11話赦しの光感想 アニメ
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2024年夏より放送開始の作品、えーでるわいすにより制作されたゲーム『天穂のサクナヒメ』を原作とし、監督:吉原正行によるアニメ化作品『天穂のサクナヒメ』 11話『赦しの光』のゲーム未プレイでの感想文となります。ネタバレとなる要素も含みますので未試聴の方は注意してください。

11話『赦しの光』

石丸と田右衛門

石丸と田右衛門が中心となり、二人に絡むお話の最後が描かれることに。山賊時代の田右衛門と石丸の回想では、互いを認めることはできずとも、それなりに相手の事を思う関係には会ったことが少し感じられる会話が描かれました。田右衛門が石丸を許す理由と、石丸が異様なまでに田右衛門に執着しているのも、こういった山賊時代にある程度の信頼はしていたが故だったのかなと思わせるシーンでした。

自ら田右衛門を襲いに訪れた石丸が、田右衛門に追いつめられたあとは、石工の道具であるノミを使い、逆にこれまで頑なに刀を抜いてこなかった田右衛門が石丸相手には刀を抜いたというのは、二人それぞれのルーツに根差した部分を感じさせる流れ。特に田右衛門については、石丸を斬るかどうかというのは、自分自身の生き方の根っこに関わる部分ともいえる話だったように思えます。

侍による戦争で地獄のような生き方をせざる負えなかった石丸、その地獄のような世界で生きる上で、自分自身をも鬼にしてしまった彼でしたが、前回自分が切り払った兎に許しを受ける。人の世ではもう許されないだろう罪を重ね切った彼はもう変わることもできず、その最後には死しか残されていなかった。しかし、それでも田右衛門の行動により一つだけ彼が許されることができたというのは、今回の田右衛門の人を許す気持ちの強さを感じさせるようでした。

サクナヒメの覚悟

そして、そんな石丸と田右衛門の話のエピソードの終わり、度重なる地震でその復活を匂わせるオオミズチとの戦いに赴く覚悟をサクナヒメが決める。

神の都全体でオオミズチと戦う事になれば、神の世界は当然荒れ、その影響は人の世界にも出てしまう。だからこそ、サクナヒメは自分自身の力でオオミズチと決着をつける覚悟を決めた。ある意味、今回の田右衛門と石丸の関係が、世が荒れてしまっていたという一つの理由があったことも、このサクナヒメの後押しをさせるためだったのかなと思わせます。

父、母、二人が命を懸けて封印したオオミズチ、まだまだ未熟な自分では無理なのではないかという弱音も少し出てしまいますが、これを支えるのがココロワヒメだったというのも、ここまでの彼女との関係があったが故といった感じで良いエピソード。そろそろ、クライマックス、最後の戦いが始まりそうです。

天穂のサクナヒメ

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