2024年10月2日配信開始、週刊少年サンデー2024年45号で連載された龍と苺210話『俺が俺でありさえすれば』の感想記事です。ネタバレもあるので注意してください。
俺が俺でありさえすれば
前回ラスト塩原の突然の対局受け入れから続く今回の話、対局の場面に進むのかと思いきや、描かれたのは塩原の過去。寒河江との因縁が描かれ本人の勝利に対する望みの強さと、それゆえにトーマスの脳の治験へと及んだ様が描かれる。私も前回思ってしまいましたが、やはり世間的にも脳の改造を行っているから勝てるんじゃないかという認識は受けている様子。しかし、そんな自分への視線を受ける覚悟を持ったうえで、それでなお「俺が俺でありさえすれば」という気持ちをもって将棋へと打ち込んでいる、というのが彼の強さの根幹にあるのかも。
塩原に手術を行ったトーマスの語る脳手術の効果は、あくまで集中力の向上程度、とのことである意味手術自体はプラシーボ効果のようなもので、本来既に勝てる実力はもっており、それが発揮されただけだった様子。
とはいえ結局、苺ちゃんとの試合は苺ちゃんお勝利にてあっさりと終了と目立ったところはなく終わってしまいましたが、むしろ彼に関しては、全く乗り気でなかった対局をなぜ受け入れたのかという所こそが肝な気がする。今回は、そのあたり一切触れられず終わりましたが、次回で何かあるのかもしれません。
そういえば、今回わざわざ塩原の脳の治験へと及ぶ流れをしっかり描いたのも、何かそのあたりに関係しているのかなという気もします。彼の言う「俺が俺でありさえすれば」という言葉は、もしかすると100年後の苺ちゃんにも何か通じるものなのかもと思わせる展開でした。
今の苺ちゃんは、流石に100年前の苺ちゃんがそのまま生きている存在というのはあり得ない。しかし、あくまで彼女は自分が苺であると言い続ける。これまでの登場人物への話ぶりからして、竜王に初めてなった時の苺ではなく、その後も戦い抜いたあとの苺ちゃんであることは間違いがなさそう。
そうなってくると、彼女も自分が自分であればいいと考え、何らかの方法で自分を他に保存して今もなお生きているなんて可能性もあるのかもしれません。
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