宙わたる教室
伊与原 新による小説『宙わたる教室』の感想記事です。2024年読書感想文高等学校の部の部の課題図書作品、『火星のクレーターを作る』という言葉の意味に惹かれ読んでみた作品です。すべて読み終えるまで6時間ほどかかりました。
火星のクレーターを再現?
『火星のクレーターを再現』、この言葉が、私がこの本に強く興味を持ったきっかけでした。地球から遠く彼方にある惑星、『火星』、当然そこには隕石が降り注ぐため、クレーターが存在する。そこまでは、私も知識として知ってはいましたが、火星という遥か遠い場所で起きている現象を、再現するというのは一体どういう意味なのか、その一点に興味を惹かれて気づけば私はこの本を手に取っていました。
読み始める前、私がこの本に持っていたイメージは、工業高校の学生たちが、先生と共に学会へと挑戦していく科学方面でのスポコン作品のようなイメージがありました。。それは、この本の紹介を見た際に見ていた学校という言葉のイメージが頭の中にあり、そこから勝手に浮かび上がった物語でした。
しかし、読み始めてみると登場するのは定時制の高校。工業高校のような専門的な技術とは縁もゆかりもなさそうな話が展開される。最初に登場した生徒は、21歳の岳人。昼間は働きながら、定時制高校の夜の部に通う生徒、そこに通う理由、決して良い友人とは言えない人との関係、ままならない現実に打ちのめされそうな彼が、それまでの彼を苦しめていたその身の障害を知ったことで、世界が広がっていく様は非常に面白かったです。
しかし、それでも疑問は晴れない。最初の章、岳人自身の成長と学びに対するスタンスの変化が描かれるものの、その話は私の中で、『火星のクレーターを再現する』という言葉にはつながらない。
そんな岳人の話が、先生の存在と科学部という部活の設立の流れから、少しずつ本題に近づいていく。学びをあきらめた青年が、果たしてどこまで行けるのかという壁に向かって立ち向かっていく。最初は、全くわからなかった『火星のクレーターを再現』への道筋。何がどう転んでそれを達成するのかはわからないが、一人、また一人と仲間が増えていく中で、その目標が達成できるのではないかと思えてくる。
ままならない人々の物語
この作品に登場する登場人物たちは、それぞれの現実に打ちのめされている。人種も、年齢も、性別もバラバラな人々ですが、ただ一つ全員に共通しているのは、定時制高校に通っている事。何らかの形で、勉強をしたいという気持ちを持っている事。皆が皆壁にぶつかりながらも、一人一人の切実な思いがあるからこそ、目標へ向かって進むことのできるという事が強く書かれている。
各章ではそれぞれが持つ壁を乗り越えていく様が描かれるのですが、全体の話の中心にいるのは、一章の主人公でもある岳人でした。彼は、時には暴走することもありますが、それでも彼の心の中に芽生えた知的好奇心こそが、物語を進める力であり、この作品に登場する先生が目指していた目標でありました。
一人一人の関係が結びつく中で新たな可能性が生まれ、皆が一つの目標に向かって進んでいく様子は、非常に胸を打つ展開。それぞれの登場人物の成長をはっきりと感じることができる。そして、そんなひたむきな姿勢を見せることで、周りの人々が理解を示し協力してくれる人も増えていくという流れは、何かに頑張ることの意味を教えてくれるようでした。
そして、話が進むたびに、それぞれの章のメインキャラクターが、一人ずつ岳人と先生のいる科学部に集まっていく。一人ではできなかったことも、新たな仲間の知恵と、技術によって少しずつできるようになっていく。少しずつ『火星にクレーター』を作るという意味が分かるようになっていく。
最後に化学部の面々が目指す『火星のクレーターを作る』という目標に対して、最後に登場する壁は、まさに岳人自身の過去の象徴と言っても過言ではないできごと。その出来事により、協力していた仲間たちも、一度はバラバラになってしまう。しかし、それでも最後は皆で協力して立ち向かう事となる。
そして、この本では、火星のクレーターという事象についても多くの事を説明してくれています。生徒たちの学びの中で得た経験を、実際に実験をするさまを通して描写されており、読者としても非常に理解しやすいお話が展開されるのも面白いところ。なまじ、何も知らない生徒たちが一歩ずつ進んでいく故に、読者もまたそこに惹かれて理解が進みやすくなっているのかもしれません。火星のクレーターの奥深さもわかるお話でした。
この作品では、知的好奇心の芽生え、環境がすべてを決めるのではなく、どんなにつらい状況でもちょっとしたきっかけと、本人の強い意思さえあれば、人は変わっていける。そして、どんなところからでも好奇心の目は生えていくという事を感じさせる面白い作品でした。
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