ノクターン〜このグロテスクな夜に〜感想
11月6日(金)に上映が始まった『GROTESQQQUE-グロテスク-』という3作のオムニバス映画のうちの1作『ノクターン〜このグロテスクな夜に〜』の感想記事です。
この記事にはネタバレが含まれますのでご注意ください。
荒廃した世界のヴァンパイアの少女たち
本作は、人類が消え、荒廃した世界を車で旅する4人のヴァンパイアの少女たちの物語。人がいない世界は荒れ果ててこそいますが、かつての人類の遺産である発電設備などは稼働しており、探せばアイスクリームなんかも食べられるかなり余裕のあるもの。
元々は、アヤメ・アヤメ・モモの三人で暮らしていたヴァンパイアたち、そこにシオンがやってきて、アヤメの提案から旅に出た4人の物語が描かれる。ただ、本当の意味でヴァンパイアなのはアヤメのみで、残りの3人は元はただの人間が、アヤメに噛まれることで感染して一時的にヴァンパイアになっているとのことでした。
死ぬことがない彼女たちだからこそ、人が死に絶えた世界で楽しく生き続けることができる、何とも退廃的な空気が漂いながらも、キラキラと輝く不思議な世界を生きる純粋な少女たちの存在が輝いて見えるお話でした。
そんな本作、やたらと色鮮やかな光に満ちた世界が描かれており、途中までは同時上映された『GROTESQQQUE-グロテスク-』の他の2作のように、ただの映像的な演出なのかと思っていました。しかし、終盤が近づく中でこの輝きもヴァンパイアにだけ見ることができる死んでいった命の輝きであることがわかる。
異常なまでにキラキラした美しい世界、映像的な美しさが物語の一部になっているのが、お話のまとまりを感じさせるようでした。
そんな本作で特に印象に残ったのは、日の光を受け弱ったアヤメの側で見たシオンの夢の場面。アヤメがかつて仲間のヴァンパイアへ襲いかかった時のように、シオンに襲い掛かるアヤメ。しかし、気づくと食われていたはずのシオンがアヤメを食べている。
このシーンの相手の体を喰らう描写は、本作の中でもなかなかの生々しさで、キラキラと輝く他の場面と比べてかなり異質なもの。これまでの少女たちの楽しげな旅や、美しく幻想的な映像とのギャップもあって、かなり強烈な印象を残しました。
ただ、だからこそ『グロテスクな夜』という一点が作中で非常に際立ち、『GROTESQQQUE-グロテスク-』という作品の中の一つであることの意味が強く感じられる展開でした。美しいものと醜いもの、穏やかな日常と生々しい捕食。そうした相反する要素があるからこそ、際立って感じられるシーンでした。
結局このシーンは夢という形で終わりを迎えましたが、本作のラスト、ヴァンパイアの力をシオンが受け継ぎ、アヤメが力を失ったのを見るに、ただの夢ではないのは間違いない。
アヤメは、「ヴァンパイアは肉体が滅びても魂までは消え去ることはない」、と語っていたことを考えると、この夢は肉体ではなく、魂レベルでシオンがアヤメを喰らっていた、ということなのかもしれません。
単純に力を受け継いだというだけでなく、アヤメという存在そのものがシオンの中に引き継がれていった、と考えると、あの夢の意味もまた違って見えてきます。
なぜアヤメはシオンを受け入れたのか
本作を見ていて最後まで明かされなかった最大の謎だと私が思ったのは、なぜアヤメがシオンを受け入れたのか?という点。
シオンと出会う前は、アヤメたちにはもっとたくさんのヴァンパイアの仲間がいましたが、アヤメの暴走によりモモとカンナの二人を残して皆殺しにしてしまった。それゆえに、もう誰も受け入れないつもりでいたアヤメが、なぜシオンだけは受け入れたのか。これに関しては、作中でも一切説明がなく、その判断は完全に視聴者にゆだねられているように思えました。
アヤメが彼女を受け入れるというのは、かなり不思議な判断にも見えます。アヤメに悪意があったわけではないですが、結果として多くの仲間を失ったアヤメにとって、もう一人仲間を増やすという選択は簡単にできることではないはず。それでも彼女はシオンを傍に置き、最終的には自分の力まで受け継がせることになる。そこには単なる同情や、仲間としての情だけでは説明しきれない何かがあったように感じます。
最後にシオンを新たな吸血鬼にした点から考えると、後継者として必要だった、という事も考えられる。ただ、他にも生き残った少女たちはいたわけで、別にシオンでなければならなかったわけではないように思えました。
色々と考えてみたのですが私の中で一番しっくり来たのは、シオンに対する一目ぼれだったのではないか、というもの。一目見て惚れてしまった相手だったからこそ、アヤメはシオンを受け入れ、そして、彼女を自分の後継者に選んだ、なんてことはありそうです。
アヤメが旅に出ることを選んだのも、死ぬことがない永遠から逃れるため、自分たちがヴァンパイアが作られた場所を、自らの終わりと、シオンに託す場所にしたかった、という意味が込められていたのかもしれません。
自らの始まりの場所を訪れ、そこで自分の役目を終える。そして、その先をシオンに託す。そう考えると、旅は単に4人で世界を楽しむためのものではなく、アヤメが自分の終わりと、次の世代への引き継ぎを準備するためのものだったとも考えられます。
美しくも退廃的な世界を旅する少女たちの姿と、その裏側にあるヴァンパイアとしての生と死。最後まで説明されない部分も多く、色々と考えさせられる作品でした。
※この記事で使用している画像は、映画『GROTESQQQUE-グロテスク-』『ノクターン~このグロテスクな夜に~』予告|11月6日(金)公開!より引用しております。
©Atsushi Nishigori, CloverWorks/Project GTQ




コメント