エリィアンズ 感想
11月6日(金)に上映が始まった『GROTESQQQUE-グロテスク-』という3作のオムニバス映画のうちの1作『エリィアンズ』の感想記事です。
この記事にはネタバレが含まれますのでご注意ください。
ポップで鮮やかな宇宙人たちとともに住む町
惑星間での交流の時代を迎えた地球を舞台に宇宙親善大使として地球にやってきた宇宙人の少女エリーと、宇宙局の公務員國蔵の友だち探しを描いた作品。
『GROTESQQQUE』というタイトルの中の1作ということで、それぞれの作品にはそれぞれのグロテスクさが込められているようですが、この作品におけるグロテスクさは、エリーの存在そのものを指していたように思えました。
エリーは、一見すると少女のようですが、その体はあくまでスライムのような軟体の生き物が人の体を模しているだけ。いざ感情が高ぶれば体が盛り上がってしまったり、衝撃を受ければ飛び散ってしまったりと、地球の生き物とは全く異なる存在であることがわかる。
そんな本作は、エリーの心情を表すかのように、ポップな色合いで描かれているのが特徴的な作品。まるで一枚のイラストが動き出したかのような作品となっており、その独特なアニメーションは、エリーを主人公とする作品の雰囲気ともよくあっているものでした。
そんなポップな絵にあふれた世界ですが、終盤エリーの心が沈み込む場面ではモノクロになってしまう場面がありました。過剰なまでのポップさにあふれた色彩で描かれている本作だからこそ、彼女の心情がはっきりと絵に出ているように思えました。
それまで当たり前のように画面を彩っていた色が失われることで、エリーの気持ちが沈んでいることが視覚的にも伝わってくる。セリフだけでなく、映像そのものを使って彼女の心情を表現しているのが印象に残りました。
物語の始まりを予感させる展開
異星からきた侵略者を撃退してハッピーエンド、といった感じで終わった本作ですが、単純に敵を倒して終わりというだけではなく、エリーと地球の人々のこれからを想像させるような作品でもありました。
エリーの能力は、人の怪我を簡単に直し、物もあっという間に作り変えてしまうという、地球の技術とは比べ物にならないほど進んだもの。しかし、それでも、エリーは地球にある想像力溢れたものは、宇宙には既に亡くなってしまったものであると語り、それを愛している。
高度な技術を持つ宇宙人から見ても、地球には地球ならではの魅力があるというのが面白いところ。エリーが地球にやってきた理由も、単なる親善交流というだけではなく、そうした地球の文化や人々に触れたいという気持ちが強そうで、便利さや技術の進歩で失われていく、人間が生み出す一見すると無価値なものの価値が描かれていたように思えました。
一方で、本作を見ていると、敵対している宇宙人以上に、エリーの暴れっぷりもなかなかのもので、街を作り替えてしまったり、あちこち壊してしまったりと、彼女と共生していくのは本当に大変だろうな、と思わせもする。
本人に悪気があるわけではないのでしょうが、地球人の常識とはまるで違う能力を持っているため、何かをするたびに周囲が大変なことになってしまう。そんな彼女の自由奔放さも、本作の明るいコメディ要素として楽しめました。
侵略者との戦いを経て、地球と宇宙人の交流はこれからも続いていくことになりそうですが、エリーのような存在がこれからも地球にやってくるのだとしたら、街の人々の生活もなかなか大変そうです。
とはいえ、本作の空気は、そんなことがどうでもよくなるぐらいに、明るく輝いている。
エリーの存在そのものが地球にとっては大きな変化であり、時には厄介なことも起こしてしまう。それでも、彼女が地球の文化や人々に興味を持ち、友だちを探そうとする姿を見ていると、これから先の彼女や、他の宇宙人たちとの交流にも期待したくなります。
タイトルが『エイリアンズ』ならぬ、『エリィアンズ』なのも、エリーとその友達を意味しているようにも思えます。あまり多く触れられなかったとはいえ、、多くの宇宙人が地球へきているあの世界、もっと幅広い宇宙人たちと地球人の交流も見てみたくなるものでした。
物語としてはきれいにまとまっている一方で、エリーの正体やその存在については最後まで謎が残されたまま。もちろん、今回の物語を描くうえで必ずしも明かす必要のない部分ではありましたが、そうした余白も含めて、まるで豪華なアニメの第1話を見たような気分になる作品でした。
※この記事で使用している画像は、映画『GROTESQQQUE-グロテスク-』『エリィアンズ』予告|11月6日(金)公開!より引用しております。
©Atsushi Nishigori, CloverWorks/Project GTQ




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