2026年9月25日に公開された門脇康平監督による映画『我々は宇宙人』の感想記事です。
この記事には本作のネタバレも含みますので注意してください。
我々は宇宙人
生々しい小学生の思い出
本作はタクシー運転手の回想という形でお話が始まる。そこで描かれたのは翼と暁太郎と呼ばれる二人の少年の出会いとそこから始まるあまりにも長くつらい物語。
二人の出会いは、翼が折り紙で作った手裏剣であった。友達から相手にされず捨ててしまった手裏剣、それを拾って元に戻した暁太郎。
手裏剣が結んだ二人の関係はとても美しい子供の頃の思い出であったのは間違いない。どこか馴染むことができず、一人でいることの多かった翼、考古学者を夢見ており常に明るく皆の中心にいた暁太郎。しかし、暁太郎もまた相棒を求めており、彼に誘われた翼は共に過ごす時間が増えていく。
本作独特のビジュアルは、作中に登場する小学生の生々しさに繋がっていたが、さらにそれを実感させたのはそこに登場した一つ一つの小物。進研ゼミのコラショの目覚まし時計や、ポケモンのデオキシスのシール、パワプロ、さらにがんこちゃんなどの映像が間に挟まれることで、ある年代の日本人であればすごくなじみのある幼少期の思い出が積み重なっていく。また、自己紹介の将来の夢を前の人と同じようにサッカー選手と言ってしまう点や、休み時間の風景、子供たちの遊ぶ姿など、その描写一つ一つからも子供たちの息遣いが感じられるものだった。
本作はそうやって、現実的な子供たちを描き続ける。しかし、そうであるが故にその後に起きる二人の間の決定的な関係の変化に対し、心が揺れ動かされていったように思えた。
母子家庭、さらにどうやらかなり厳しめな育て方を受けていた翼は、段々とストレスが溜まっていく。それとは逆に、暁太郎は幼い頃の天真爛漫さを持ち続けるが故に、大人びていく周りの子供たちとの間にずれが生じてしまう。
一つ一つのできごとは小さな積み重ねであったが、確実にその積み重ねは二人の関係を壊していく。そして、それは暁太郎が作った、二人のかつての友情の形であっただろう宇宙人と人間が手裏剣で友達になるという姿を作った人形の破壊と水槽の事件で決定的な破綻へと繋がってしまう。
子供ゆえの純粋さ、子供ゆえの残酷さ、子供だからこそ感じる怖さ、そして子供としての辛さ。それらが全て積み重なっていき最悪の形が描かれていく流れは、その後の展開への恐ろしさを感じさせる流れでした。
宇宙人と人はどちらなのか?
暁太郎が作った人形、宇宙人と人間、二人がかつて自分と翼を繋いだ手裏剣を渡すその作品は、かつての翼と暁太郎をモデルに作りあげていたのは間違いない。最終的には二人の友情を決定的に破壊することになってしまったこの作品だが、果たしてどちらが翼で、どちらが暁太郎なのか、という疑問を自然に投げかけてくるのが面白い。
翼視点で話が進んだ前半では、暁太郎が宇宙人のように見えていた。しかし、後々語られた暁太郎の視点では、人形の方こそが自分であり、友情の証を渡した宇宙人こそが翼であった。
互いに相手を宇宙人だと思っていた。結局それは、他人というのは結局理解ができない存在であるという事を示しているように見えた。謝罪の手紙を渡しても、距離が離れていくばかりの翼、暁太郎からすれば、理解が及ばず言葉がわからない宇宙人のように見えたのだろう。
このあたりに我々は宇宙人というタイトルがかかっているように思えました。理解できない相手は宇宙人のように思えてしまう。そのすれ違いが二人の関係を壊していき、翼は暁太郎を忘れ成長していく。時には、ぐれることもあったが、結局彼はいつだって道から外れることを恐れていた。そんな彼は、真っ当に社会人へとなっていく。
友人の結婚式で実家に戻った翼、一時は相当こじれていただろう母親との関係もすっかりよくなっており、悩みがないとは言わないものの順風に生きていることがわかる。しかし、その帰りの雨の夜、暁太郎との最悪の奇跡ともいえる再会を果たす。その再会は、あまりの不気味さ、非現実的な景色、そこにいた暁太郎の表情は宇宙人と見まがえてしまうもので、翼が忘れてきた過去が追い付いてい来る恐ろしさを感じさせるものでした。
暁太郎の過去
そして始まるのは暁太郎の過去。翼の過去を見ていたが故に、そこから起きるだろう二人の破綻が実に痛々しい。かつては朗らかに笑っていた暁太郎が、少しずつ擦れていき狂っていく、その変化は現実の誰かの身に起きていたのではないかという生々しさがある。
そして、更にエグいのは、翼の過去で描かれた描写、一つ一つが今の暁太郎の変化へつながる答え合わせのようにはまっていく。そして、明かされる水槽の事件の真相、暁太郎を犯人だと誘導したのが翼だったことがわかり、始まる暁太郎の復讐に向けた鬼ごっこの流れは、もはやホラー映画と言っても過言ではない恐ろしさでした。
暁太郎が復讐の武器に選んだのが、かつておばあちゃんに渡された魂の槍だったのも、非常に緊張感を高めていたように思える。あの時の暁太郎の狂ったような表情は、かつて翼に語った、丸い注射針での殺し方を実行してもおかしくないと思わせるもの。
しかし、実際にはその注射針のような棒は、二人にとっての救いになったのかもしれない。翼がかつて注射針の話であの形状を恐れて居なければ、あの気の抜けるような悲鳴はなく、あのまま殺されてしまってもおかしくはなかった。まして、ただの尖った何かであったならあの時点で既に口から頭を刺されて死んでいてもおかしくはなかった。その後の二人を思うと、幼い頃の大切な思い出が二人を救ったと取ることもできるのが、良い感じでした。
美しさと醜さ 最後に残るのは?
そして、最初のタクシーの場面へと物語は戻り、冒頭描かれたタクシー運転手は暁太郎だったことが明かされる。ガラス越しに流れる雨の筋が、彼自身の涙のように見えてくる。そこからの物語は、まさに本作の救いのような描写。
かつてのボロボロだった生活からタクシー運転手として真っ当な生活に立て直したことがわかり、かつて、自分をスターだと思っていた男との交流が描かれる。彼が水槽の事件の時に暁太郎がやったわけではないと周りに伝えていればこうはならなかったのではないか、とちらりと頭によぎりもしたが、当時の彼が言ったところで何も変わらなかったのかもしれない。
とはいえ、重要なのはそこではなく、暁太郎の辛い翼との出来事を、笑って聞き飛ばしてくれる存在がいたということで、それは彼にとっての一つの救いだったように思えた。それまでの人生全てを引っ張り続けてきた暁太郎と翼との思い出、しかし、どれほどつらいものであろうとも時の流れが過ぎ去れば、いつか笑い話になり誰かを笑わせることができた。
二人が笑い合い、様々な人々の営みや、景色が描かれていたが、このシーンには、美しさと醜さが一つの画面にちりばめられていたのが印象的。本作の中で二人の過去の思い出は、最初美しく始まったものの、最後には醜い憎しみに変わってしまった。この美しさと醜さが入り混じった映像は、二人の思い出の中にもその二つが確かにあることを示しているように見えた。
公園の横を通る暁太郎はあれほど大切だった恐竜の名前を思い出せなくなっている。しかし、最後の場面で翼が語った、月の話は幼い頃の暁太郎に対するもの。大切な思い出も、醜い思い出も、どんどん忘れ去られて行ってしまうが、それでも確かにそこには残っているものがある。
復讐の雨の日に起きたゴミ袋による悪い意味での奇跡のような再会に対して、ラストで描かれた二台でのの再会は、もう一つの奇跡ともいえるもの。
最後ふたりの車は別々の道をいき離れていく。醜く歪んでしまって終わったかのように見えた二人の関係、しかし、それでも時が流れ気持ちが整理した二人に残っていたのは、幼い頃のまばゆいばかりの大切な思い出だったのは言うまでもない。「じゃーね!」と叫ぶ暁太郎に対して、それを理解した翼もまた同じように叫び返す。
ひたすらに暁太郎と翼との関係が歪んでいく様を見せつけてきた本作でしたが、その最後には輝くような二人の思い出が、彼らを子供のように突き動かした。二人は、仲直りしたわけでもないし、過去が消えたわけでもない。それでも最後には、かつて二人を結びつけた「子供の頃の関係」だけが残った。その事実に、いつのまにやら涙が浮かんでくるラストシーンとなっていました。
我々は宇宙人 感想
幼い思い出の美しさと、醜さその二つをこれでもかと描き、途中はもう破綻しかないバッドエンドしか見えないほどに追い詰める容赦のなさ。それでも、最後に新しい道を進んでいく流れと最後の細やかな奇跡が非常に美しい。
さらに結局は理解しきれない他人の存在を宇宙人のように感じ、恐れてしまう。宇宙人というテーマも余すことなく使いきっている。
ホラー映画に劣らない怖さ、かつてを思い出させるノスタルジー、そして、重ねてきた小さな描写を拾い上げていくパズルのような繊細さで話が組み立て、独特な雰囲気を持つアニメーションでまとめ上げているのが素晴らしい作品でした。




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