二十世紀電氣目録 ユーレカ・エヴリカ
2026年夏アニメ、『二十世紀電氣目録 ユーレカ・エヴリカ』の最終回13話『望む未来へ』の感想記事です。アニメの内容のネタバレ等含まれますのでご注意ください。
望む未来へ
完成した電気頭脳
完成した電気頭脳に喜八を取り込もうとする三添の不気味な表情から始まった最終回。最後まで見終えて最初に浮かんだのは、初めてこの作品を見かけた時に期待していたものから、ずいぶん離れた終わりを迎えてしまったな、という思いでした。
本作のビジュアルや序盤の雰囲気を見た時、私が期待していたのは、喜八と稲子を中心に、二人がそれぞれの夢や未来に向かって進みながら、その過程で少しずつ関係を深めていくような物語でした。
もちろん、そうした部分がまったく描かれなかったわけではありません。
むしろ、二人の関係が少しずつ変化していく描写は度々描かれていました。しかし、物語が進むにつれて、どうしても強く印象に残るのは喜八と稲子ではなく、三添の存在になっていったように感じます。
そして最終回も、まさにその延長線上にあるお話。前回ラストで衝撃だった、三添によって想像していた以上に直接的な形で電気頭脳へ接続されかけていた喜八は、稲子によってすぐに助け出されます。
もともと三添は身体が強くないことも描かれていましたから、稲子が三添を制するところまでは、それほど意外ではありません。ただ、その後の物語は、喜八と稲子の二人に軸が戻るというよりも、「三添をどうするのか」という問題へと向かっていきます。
最終話で描かれたのは、三添を救うための物語、としかいいようのないものでした。
電気飛行機が飛んだことについて
三添を助けるための手段として登場したのが、以前ちらっと描かれていた電気飛行機でした。実際に飛ぶところまで描かれたのは、本作の中で積み重ねてきた発明という要素を考えれば、きれいな回収だったと思います。
ただ、個人的にはここも少し寂しさが残りました。というのも、電気飛行機そのものの開発については、それほど大きく時間を使って描かれていたわけではありません。
「以前話していたものが、本当に飛んだ」という意味ではきちんと拾い上げてはくれたのですが、そこへ至るまでの試行錯誤や失敗、喜八たちがどうやって完成させたのかという部分をもう少し見せてもらえていたら、実際に空へ飛び立った瞬間の感動も、もっと大きかったのではないかと思います。
せっかくなら、この電気飛行機を完成させるために喜八たちが努力する話を、1話くらい使って描いてもよかったのではないでしょうか。
これまで積み重ねてきたものが、稲子と力を合わせて最後に空へ飛び立つ、そういう最終回が見たかったな、と思ってしまいました。
三添という人物を最後まで見て
そして、やはり最後まで強烈だったのが三添でした。本作を通して描かれてきた三添は、とにかく清六への執着が強烈な人物。
単純な恋愛感情という言葉だけでは片付けられないほど、清六という存在に人生そのものを縛られているように見える。そのため、三添が最後に助けられたことについても、「これでよかったのだろうか」という気持ちが少し残りました。
むしろ、あれほど清六への執着を描き続けてきたのであれば、最後には清六と二人だけの幸せな夢の中へ逃げ込むようにして、そのまま静かに死んでいく。そんな結末の方が、三添という人物にとっては幸せだったのではないか、とすら思ってしまいます。
もちろん、それではあまりにも救いのない結末ですし、物語としては三添を生かす意味もあったのでしょう。
実際、前回描かれた三添と喜八のやり取りは印象に残っています。電気頭脳の開発を通して、互いが持っている情熱を認め合い、それまで敵対していた二人が、同じ「何かを作りたい」という思いを通じて、一瞬だけ対等な存在になる。
この場面そのものは、かなり良かったと思います。だからこそ、助けられた三添が、喜八から求められたことをきっかけに新しい生き方を見つけていくという流れも、理解はできます。
自分の中にあった情熱を誰かに認めてもらったことで、清六だけに縋らなくても生きていける可能性に気づいた。そう考えれば、三添が生き残った意味もわかります。
ただ、それでも「あれほどの清六への執着を乗り越えるほどの出来事だったのだろうか」という疑問は残ってしまいました。
三添の存在が、本作の中で大きく描かれすぎてしまった故に残ってしまった疑問なのかもしれません。
喜八と稲子の最後
そしてラストシーン。喜八と稲子、二人が伊勢から富士の旭を眺める場面で物語は締めくくられます。
ここで描かれた、相手への好意を伝えながらも、その気恥ずかしさに耐えられず思わず顔を逸らしてしまう喜八。こういう場面こそ、個人的には本作を見始めた時に見たかったものでした。
二人の関係が少しずつ近づいていき、最後にはこれから始まる未来を一緒に見つめるという、非常にきれいな終わり方。
ただ、本編を通して三添の存在感があまりにも強かったため、どうしても最後に急に二人の物語へ戻ってきたような印象を受けてしまいました。
もちろん、二人の関係が突然描かれたわけではありません。これまでにも、喜八と稲子が少しずつ距離を縮めていく場面はありましたし、その積み重ね自体はちゃんと存在しています。
それでも、最終回まで見終えた時に自分の中で一番強く残っていたのが「喜八と稲子の関係」ではなく「三添は最後にどうなるのか」だった。そこに、自分が期待していた作品との大きなズレを感じてしまいました。
私が期待していた物語とは違った
本作のビジュアルを初めて見た時、私が期待していたのは、もっと喜八と稲子の二人を中心とした物語でした。二人がそれぞれの夢を追いかけ、その中で発明や挑戦を重ねていく。時には失敗しながらも、二人で未来を切り開いていく。そして、その過程で少しずつお互いを意識するようになっていく。そうした物語を勝手に想像していました。
しかし、実際には、そこへ三添という非常に強烈な人物が入り込み、清六への執着、電気頭脳、そしてその救済へと物語が大きく傾いていきました。
これはこれで、本作が描きたかった物語なのでしょう。むしろ、監督や制作側が最初からこちらを描きたかったのであれば、私が勝手に期待していたものとの違いでしかありません。だから作品として間違っていたという話ではないと思います。
ただ、最後まで見終えて改めて考えると、私が作品のビジュアルを見た時に想像していた物語と、実際に描かれた物語との間には、かなり大きな乖離がありました。そして、その乖離を最も象徴していたのが三添だったのだと思います。
本作について誰かと話すとするなら、最初に思い出すのは喜八と稲子のやり取りよりも、三添の強烈な表情や清六への執着、そして電気頭脳を巡る一連の展開になってしまう。それほどまでに、三添というキャラクターのインパクトが大きかった。
そして、だからこそ、ラストで描かれた喜八と稲子の二人の未来を見ながら、「もっと、こっちを見たかったな」という気持ちが残ってしまいました。
最後の二人の姿そのものは、確かに良かったです。だからこそ、その二人がそこへ至るまでの物語を、もう少し中心に据えてほしかった。
私が最初にこの作品を見た時に期待したのは、きっとそういう物語だったのだと思います。




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