2026年7月3日に公開された映画『トイ・ストーリー5』の感想記事です。
この記事には本作のネタバレも含みますので注意してください。
トイ・ストーリー5
ウッディは登場、しかしジェシーこそが主人公
トイストーリーシリーズは、全て過去に視聴してきた私ですが、今回の映画を見始めるうえで気になっていたのは、ウッディをどう扱うのかという点。これまでのシリーズではずっと主人公としての立ち位置だった彼ですが、前作トイ・ストーリー4では、新たな持ち主であるボニーの家から飛び出し野良の玩具になるまでの物語が描かれており、果たしてそこからどのような物語が描かれるのかというのはトイ・ストーリー5が発表された時から気になっているポイントでした。一度野良の玩具となったウッディ、予告では皆に頼まれ戻ってくるシーンは描かれていましたが、それでも果たしてそこからどのような立ち位置となるのか、そんな疑問を抱えたまま映画館へ足を向けることになりました。
そんな本作ですが、結果的に言うとウッディは登場しこそするものの、どちらかと言えば皆を少し手助けしてくれるキャラクターといった感じに収まっていました。今回の話の主軸にあったのは、ウッディにボニーの家の玩具たちを託された『ジェシー』とその持ち主である『ボニー』、そして新たにボニーの元にやってきたデジタルタブレット『リリーパッド』との物語。とはいえ、ウッディとバズも、かつての
ジェシーは当然ボニーを思って行動するも、今の時代の子供たちに合わない玩具という存在は友達を作ろうとすると邪魔になってしまうこともある。しかし、リリーパッドのデジタルで繋がる友達も、決して皆が皆うまくいくわけではない。
ただ、本作で大事なのは、ジェシー・リリーパッド双方が、ボニーを喜ばせてあげよう、友達を作ってあげようという持ち主への愛情からの行動であるという事。時代に合わないジェシーの考えを否定するリリーパッド、リリーパッドのやり方では本当の友達を作ることはできないとボニーの玩具としての経験から語るジェシー、共に持ち主を思って行動しているというのが見えているので、二人のやり取りを見ていてもどこか優しい気持ちで見ることができました。
また、リリーパッドは玩具という枠組みを超えたデジタルデバイスという存在ではありますが、新しい存在がやってきて自分の今の立場を脅かされるという話の流れは、初代トイ・ストーリーのウッディとバズとのやり取りを思い起こさせるものでした。最終的に二人が収まった関係も、かつてのウッディとバズとの間を思い起こさせるような喧嘩友達といった感じで、何となく玩具の世代が移り変わった事を感じさせるラストとなっていました。
また、本作はジェシーの過去、一度持ち主であるエミリーに捨てられてたというエピソードを拾い直しているのもよいところ。玩具としては必要とされなくなっても、持ち主の大事な記憶として確かにそこに残っていたというのは、ジェシーにとってどれほど救いになったのかとジーンと来るシーンとなっていました。
この後のブルズアイに乗ってジェシーが駆けだすシーンでも、かつての持ち主であったエミリーの髪留めを付けているのも良かったです。
ウッディが野良の玩具となったのは、玩具という存在への救い?
前作トイ・ストーリー4では、ウッディが野良の玩具になるというなかなか衝撃的なラストを迎えました。しかし、そこから続くトイ・ストーリー5のお話で登場したデジタルに取って代わられ外に放置された玩具たちの存在を見ていると、野良であっても玩具が楽しくやっている、という事実は玩具にとっての一つの救いのようにも思えてきました。
ボニーとブレイズのような、玩具と共に想像力を羽ばたかせ遊ぶ子供たちはいなくなったわけではない。しかし、そんな彼女たちは本作の中で普通の子供とは描かれなくなっていました。
本作における普通の子供とは、デジタルデバイスで遊び、学び、友達を作る子供たち。そうやって、昔と少し変わってしまった世界では、当然今までよりは肩身が狭くなる玩具たちも存在するはずで、野良になっていく玩具もこれまでより増えていくのも仕方のない事。しかし、そういった玩具たちが、野良であっても楽しくやっている、というのを描くことで、時代が変わり必要とされなくなった存在が、ただ朽ちていくだけではない、という救いを描いているようにも思えたのです。
このあたりは、1~3のシリーズで描いていた持ち主との絆という話から考えると少し寂しいものではある。しかし、それでも玩具という存在が一つの人格を持った存在として描かれる本作において、不用になった玩具も楽しくやっているというファンタジーがそこにあるのは、映像を作った人たちが、玩具のキャラクター達を愛しているが故の優しさを感じさせるもののようにも思えます。トイ・ストーリー4で、野良の玩具という存在を描こうとしたのにも、そんな思いも込められていたのかな、という気もしますね。
トイストーリーにおける玩具は、子供に必要とされる間だけ、子供のために尽くすという見方によっては、なかなか切ない存在でもある。であるからこそ、そんな玩具たちが本当に必要とされなくなった時にも、生き生きと生きることができるという事実が描かれているのはとてもよかったです。
それでも玩具は必要とされる
本作、冒頭から登場していたバズ・ライトイヤー軍団。序盤の登場の流れはなかなか不穏で、果たしてどのような役割を果たすのかと少し冷や冷やしながら見ていました。途中までは、なぜ彼らがわざわざ登場しているのか、と少し疑問に思う所もありましたが、最後には最新の玩具であるが故の活躍を見せてくれました。初代では自らが玩具であること、本当は知り飛べないことを知り一度は絶望したバズ、それが最新型で共に空を飛べるようになっているというのは、あの時のシーンが頭に思い浮かび心揺れるシーンの一つとなっていました。
なかなかの活躍を見せたバズ達ですが、本作における一つの役割は、デジタルデバイスも子供たちからすれば玩具と同じ存在であるということを示すことになったのかなという気がする。今の時代の玩具は、ネットに繋がるのも当たり前、玩具もまたそうやってデジタルな存在と繋がって子供たちを楽しませているという時代の流れの中で、本作では互いの立ち位置の違いから喧嘩してしまった玩具とデジタルデバイスとの橋渡しとしての存在として彼らがあったのかもしれません。
また、本作のラストに大量のバズが、子供たちの元に舞い降りるというのもなかなか良い展開でした。本作は、テーマ的に玩具は不要になっていくという点が強調されていただけに、それでも子供たちは玩具を求めているというのがはっきりと描かれているのは、玩具を題材にする作品であるが故に必要な要素だったように思える。
また、このシーン大人のおじさんもバズの玩具を受け取って嬉しそうにしていたのも良いシーン。時系列的にはすでにかなり過去となった1作目でも大人気の玩具だったバズ、それが5でも最新型が作られ続けているとなると、根強い人気があることがわかる。子供だけでなく、大人からも玩具を喜んでくれる人がいるというのは、本来の彼らの願いとは少し違うのかもしれませんが、それでも彼らの居場所がまだたくさん残されていることが見えてくる良いラストシーンとなっていました。














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